THE KNOT SAPPORO Magazine -Issue 01-2

Sep 22, 2020

THE KNOT SAPPORO Magazine -Issue 01-2

Mountain is

ヤマに導かれ、ヤマを仕事のフィールドとする。
足立成亮と陣内雄は、フリーランスのキコリ。
いま2人は札幌にあるヤマで、黙々と道をつくり続けている。
ヤマと人とをつなぎ、互いの境界をつくり出すのが道。
この道をキーワードとして、彼らがヤマに向ける眼差しに迫る


Text by Michiko Kurushima
Photo by Ikuya Sasaki

002 Interview

TAKESHI JINNOUCHI

立体を把握する力が生かされて

「この角度でこの深さでチェーンソーを入れれば、計算通りの場所に倒れる」
 札幌南高等学校林の現場で、足立さんとチームを組んで道づくりをする陣内雄さんは、チェーンソーを軽々と抱えて、笹薮をヒョイッとはねるように移動し、あっという間に木を切り倒す。このとき幹で隠れて見ることのできないチェーンソーのカット面を正確に把握しているという。
 今回、話を聞く中で、陣内さんの「立体の把握力」は並外れたものがあることがわかった。形を記憶し再現するのが子どもの頃から得意。人とのコミュニケーションが大の苦手で、絵を描くか、紙工作で精巧な乗り物を無数につくることに没頭したという。
 高校2年生のときに目指す道が見つかった。きっかけはシアトルに住む親戚の家にホームステイをし、大学の建築科に通ういとこの様子を見たことだ。
 「毎日、建築のスケッチをして、模型をつくって。オレの好きなことだ!と。しかも、『建築って社会的芸術だよ』と教えてくれて、決まり、それしかないと思ったんだ」
 上京し東京芸術大学の建築科に進学。昼夜を忘れて課題に取り組んだが、徐々に疑問が頭をもたげてきたという。
 「東京って文明の矛盾のかたまり。人工物しかない。もうこれ以上建物いらないじゃんって思って、ドツボにはまっちゃってさ。それに、地球温暖化のニュースに超ショック受けていて。このままだと地球滅びるゾと」
 そこから陣内さんは、地域に根ざした生活技術を学ぼうと決意。ネットのない時代、オルタナティブな書籍を扱う専門書店で「適正技術・中間技術(※)」に関する本を買いあさり、著者に手紙を書いては、ヒッチハイクで会いに行くという日々を重ねた。大学の卒業制作では「持続可能な生活のための技術の研究所」というプランを練った。
 「木造4階建ての集合住宅と研究棟が中庭を囲むフナムシみたいな形の建築を考えました。真ん中には銭湯があり、生活排水を浄化するシステムがあって、その下に畑があって。エネルギーも自給して自然素材で暮らしたらどうよ!と」
 在学中から設計事務所で働いていたが早々に退社し、山梨で有機農業を営む友人の家づくりを手掛ける。その間、作家であり、環境保護活動家でもあるC.W.ニコルさんの本を読みあさり、拠点のあった長野へも赴いた。ニコルさんが所有する森の管理人に出会って林業に目覚めた。
 「そこでは森づくりの伝統的な技術を実践していてさ、脳天に衝撃をくらって。よっしゃ林業だぞと。いくら自然に即した農業をやっても、サルやイノシシの攻撃に合う。荒れているヤマをなんとかしなきゃと思ったんだ」
 1992年北海道に帰り、翌年から下川町森林組合で林業の作業員として働く傍ら、地元の人々から田舎暮らしに必要な技術を学んでいった。1996年には、山の中に藁ブロック構造の「ストローベイルハウス」を仲間と建築。自ら住んで、その性能を体感した。

※「適正技術」とは、環境破壊をもたらす先進国の巨大技術に対して、地域に根ざし、より人間的な適正規模の技術のことを差す。イギリスの経済学者・シューマッハが提唱した「中間技術」という考えが、その始まりとされる。

” I HAD TO DO SOMETHING ABOUT THE FRAGILITY OF THE MOUNTAINS “

“荒れているヤマを何とかしなきゃと思った”

さまざまな道筋が、いまようやくつながって

陣内さんは、自身のサイトで2つのプロフィールを公開している。ひとつは林業、もうひとつは音楽。混ぜて語ると相手に伝わりにくいので分けたというが、音楽についても「立体の把握力」に通じる才能が見え隠れする。
 「ある曲を聴き込んだら、バンド編成やアレンジを記憶して、10年後にまったく同じように再現できるんです」
 上京してドラムやパーカッションに熱中し、卒業後はギターで曲をつくるようになった。自身の声や歯笛も楽曲に取り入れ、下川町に暮らした当初は、夏は林業、冬は音楽活動を行った。1997年、音楽を突き詰めたいと組合を休職して東京へ。バイトをしつつバンド活動をし、CD「北の国へゆこう」を制作した。
 「自主版にして思う存分表現をしようと思いました。ダラダラやるんじゃなくて、けりをつけたかった。CDをつくって音楽は完全に封印。音楽終了!」
 2年間の活動ののち、一転して森林組合で営業に邁進。間伐材の葉を使ったエッセンシャルオイルの製造販売事業を立ち上げた。スーツケースにオイルを詰め込んで東京中をまわって顧客を獲得したことも。同時に地域がいかに自立していけばいいのかを探る様々な活動にも参加。森林に関する研究会もつくった。2006年には旭川へ住まいを移し、「NPO法人もりねっと北海道」を設立。森林と都市の人々とのつながりを再構築するための活動や支援を開始。営業職やNPOの設立は、これまでとは異なるスキルが必要になりそうだが、組織の構造も立体的に把握する力が役に立っているようにも思えてくる。
 NPOが軌道にのった2015年。代表を辞任して、フリーランスのキコリとなった。足立さんと組んで道づくりや間伐を行うほか、住宅のエクステリアといった空間づくりの依頼も受けた。そして2019年、さらなるプロジェクトに着手。
 「曲がったり太い枝だらけの丸太は、建材として扱われないけれど、使いようで立派な構造になる! じゃあ、シンプルに、キコリが建築すればいいんじゃないかと考えたんだよね」
 プロジェクト名は「キコリビルダーズ」。クラウドファンディングによって製材機を購入し、藁と土という田舎にある材料と、それらを生かす技術を使って地元の人と一緒に家を建てる取り組みが始まった。第一棟目は、旭川から下川町に移転した「jojoniパン工房」の建物。ヤマにあるもので家をつくるという思想と、土でつくった薪釜で地元の木を燃やし、自然発酵させたパンを焼くという思想が合致し形となった。
 「社会的な建築という考えと森の仕事や地域の自立へ向けた活動、そこらへんのものがいま全部つながった。ようやくパーツがそろった」
 音楽活動も3年前に再開。CDも再版され、ライブ活動も並行して行っている。
 半生を振り返った長いインタビューの最後に、「ずいぶん回り道しちゃったなあ」と陣内さんは笑った。しかし、何一つムダな経験はなかったのではないか。つねに持っている才能をフル回転させ、持続可能な社会の実現に向けて猛烈なエネルギーを注ぎ、そのすべてが地層のように折り重なって、いまがあるのではいか。
 「木と藁と土の家がもうちょっと手軽に手に入るようになったらいいなあと思っています。山際にはキコリと製材機があって、里とつながる道があって。その地域ごとにプレーヤーがいて。全道でチラホラと盛り上がっていったら、相当面白くなる。オレ、夢ばっかりいってるけどね(笑)」
 「キコリビルダーズ」の描く未来は経済効率を優先する社会とは別の明るさがある。陣内さんが30年前の卒業制作で描いたプランが、実現する日も近いのかもしれない。

” THERE ARE KIKORI ON THE EDGE OF THE MOUNTAIN, WITH A ROAD THAT CONNECTS TO THE VILLAGE.”

“山際にはキコリがいて里とつながる道がある”


陣内 雄

1966年札幌生まれ。東京芸術大学建築科卒。設計事務所勤務後、1993年下川町森林組合で働きつつ、音楽活動も行い1999年にCD「北の国へゆこう」を発売。2000年より森林組合でエッセンシャルオイルの新規事業立ち上げ。2006年旭川でNPO法人もりねっと北海道を設立、代表を務める。2015年フリーで林業や森の空間づくりを行う。2019年「キコリビルダーズ」の活動開始。

Takeshi Jinnouchi web site